今まで家計のことを考えずに過ごしてきた人にとっては、家計を見直すのは苦痛な作業かもしれません。でも「家計の見直し」作業は、これからの家計を考えていく上では不可欠です。無頓着だった人の家計ほど見直しの余地があるでしょう。つまり、家計の見直せば効果も大きいということなんです。
今、家計がうまくいっていないということは、今までの積み重ねが招いた結果ともいえます。今まで無関心だったり、何か問題があったりということですね。ということは、そこに気づいて、そのやリ方を変えれば改善される。それが「家計の見直し」のパワーだと思います。「家計の見直し」のネックになるのは、自分の家計の思わしくない状況をできれば見たくないという心理かもしれません。
他人の目で家計を見直してみる
自分の家計を見る場合、どうしても感情的になったり、自己嫌悪に苛まれたりしますが、この際そういうことは置いておいて、他人の家計だと思って、家計を見直してみるといいと思います。他人の家計と思えば冷静に意見も述べられますね。他人の目で、どこを改善したらいいのか、ムダなものはないかを確認してみるといいでしょう。
自分の家計を1つのサンプルとして、自分がファイナンシヤループランナーになったつもりで、どうアドバイスしたらいいかと考えてみると見直しも進みます。もちろん、実際にファイナンシヤル・プランナーに相談するのもいいと思います。日本ファイナンシャル・プランナーズ協会では、資格認定者による無料相談なども行っていますので、気軽に相談してみるのも1つの方法です。
家計の大きな見直しのポイントとしては、住宅ローンの状況、家族の保険はどうなっているか、子どもの教育費、資産の運用などが挙げられます。色々な問題点や改善点が浮かび上がってくると思います。ムダになっているお金、活用されていない資産があるかもしれません。
「いつかやるつもり」はNG
「家計の見直しは、いつかやろうと思っている」そんな声も聞こえそうです。でも「いつかやる」は「いつまでもやらない」ということかもしれませんね。その対策としては家計の「家計の見直しデー」を決めておいて、取り組むのはどうでしょう。
一度に何でもやろうと思うと気が重くなりますが、加入している保険を確認したり、資産の表を作ったりと少しずつでもやってみると違います。まずは、自分の家計の状況を整理して把握するだけでも効果があるはず。というのは、家計に問題を抱えがちな人は家計の状況を把握できていない、したくないという特徴があるからです。
家計の状況を把握して、自分の頭の中を整理し、すっきりシンプルにしていくことが大切です。家計を見直して自分の気持ちの中のモヤモヤがなくなることによって、人生にも活力が生まれてくると思います。
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たまには思い切った使い方でスケール感を磨く!日常の金銭的価値観から自由になってみる
お金を使うのも自分の慣れ親しんだゾーンがあると思います。節約することは大切なことですが、節約ばかりに意識がいくと、お金を使うのが苦手になってしまうということもあるかもしれません。お金を使うべき局面で何となく使えなくなってしまう。攻めるべき局面で、守りに入ってしまい、結局は効果を半減させてしまうようなことはないでしょうか。
そういうことを避けるためには、時には、普段とは違う使い方をしてみることもアリかなと思います。といっても、収入には限りがあるでしょうから、例えば、月に3回外食に行っているなら、それを1回にして3回分のお金を投入してみる。普段のランチを節約して、その分いつも使っているもののグレードを上げてみる。そんな風にして自分のお金を使うゾーンの触れ幅を大きくしてみると、お金に対する感覚が違ってくるかもしれません。ゾーンの触れ幅の大きさが、その人のスケール感を生むような気がします。
自分でお金の使い方をコントロールする
お金の使い方を変えてみることによって、色々な体験ができますし、それによってお金に対して柔軟な考え方を持つことができるようになると思います。ある月は、できるだけお金を使わないで生活してみると収入が減っても大丈夫ということが分かるかもしれません。それによって、収入の額に対する執着も変わってくるでしょう。ある月は、少し贅沢に暮らしてみると、お金があることで得られる豊かさを実感できるかもしれません。
自分でお金の使い方をコントロールしてみると、逆にお金に振り回されず、どういう状況でも、自分でエンジョイできる環境を作ることに繋がっていくと思います。自分でお金の使い方を変えてみるというのは、いわば1つの訓練といえるかもしれません。
これからの時代は、給与が上かっていくとも限りませんので、収入に変動があっでも楽しく暮らせる技術も大事ですね。お金のある時はある時なりに、ない時はない時なりに楽しく暮らせればいいのではないでしょうか。それには金銭価値だけに縛られないことでしょう。金銭的な欲望や執着からフリーになるということかもしれません。
ここぞという時にはお金を使う
何かを成し遂げた人の自伝を読むと、ここぞという時にはお金を使っています。お金に余裕があるとか、ないとかということで、自分の信念を曲げていない。例えば、美しい日本庭園で知られる足立美術館。その創設者、足立全康氏は理想の景色を創るために山1つ買ってしまっています。
日常の金銭的価値観を超えたところで判断ができるということは、1つのスケールの大きさですね。目先のことに捕らわれがちな昨今の風潮ですが、是非そういう部分を先人に学びたいものです。もちろん、健全な金銭感覚は大事だと思いますが、40代なら、それだけではないスケール感を漂わせてみるのもよいのではないでしょうか。
そういうことを避けるためには、時には、普段とは違う使い方をしてみることもアリかなと思います。といっても、収入には限りがあるでしょうから、例えば、月に3回外食に行っているなら、それを1回にして3回分のお金を投入してみる。普段のランチを節約して、その分いつも使っているもののグレードを上げてみる。そんな風にして自分のお金を使うゾーンの触れ幅を大きくしてみると、お金に対する感覚が違ってくるかもしれません。ゾーンの触れ幅の大きさが、その人のスケール感を生むような気がします。
自分でお金の使い方をコントロールする
お金の使い方を変えてみることによって、色々な体験ができますし、それによってお金に対して柔軟な考え方を持つことができるようになると思います。ある月は、できるだけお金を使わないで生活してみると収入が減っても大丈夫ということが分かるかもしれません。それによって、収入の額に対する執着も変わってくるでしょう。ある月は、少し贅沢に暮らしてみると、お金があることで得られる豊かさを実感できるかもしれません。
自分でお金の使い方をコントロールしてみると、逆にお金に振り回されず、どういう状況でも、自分でエンジョイできる環境を作ることに繋がっていくと思います。自分でお金の使い方を変えてみるというのは、いわば1つの訓練といえるかもしれません。
これからの時代は、給与が上かっていくとも限りませんので、収入に変動があっでも楽しく暮らせる技術も大事ですね。お金のある時はある時なりに、ない時はない時なりに楽しく暮らせればいいのではないでしょうか。それには金銭価値だけに縛られないことでしょう。金銭的な欲望や執着からフリーになるということかもしれません。
ここぞという時にはお金を使う
何かを成し遂げた人の自伝を読むと、ここぞという時にはお金を使っています。お金に余裕があるとか、ないとかということで、自分の信念を曲げていない。例えば、美しい日本庭園で知られる足立美術館。その創設者、足立全康氏は理想の景色を創るために山1つ買ってしまっています。
日常の金銭的価値観を超えたところで判断ができるということは、1つのスケールの大きさですね。目先のことに捕らわれがちな昨今の風潮ですが、是非そういう部分を先人に学びたいものです。もちろん、健全な金銭感覚は大事だと思いますが、40代なら、それだけではないスケール感を漂わせてみるのもよいのではないでしょうか。
— posted by NCTV at 10:16 am
平安京って昔あったけどあれってなんなの?
2020/1/28
平安京とは現在の京都市にあった、かつての日本の首都の名称です。平安京は西暦794年、桓武天皇が長岡京から遷都したことで誕生しました。
西暦1869年に当時の日本政府が東京を首都と決定するまでのおよそ1,000年間にわたり首都としての機能を果たし、世界でも類を見ないほど長い歴史を持っています。
桓武天皇が平安京を作った理由ははっきりとはわかっていませんが自身の権力を盤石のものにし、政権運営をスムーズにするためではないかと考えられています。
つまり自分で新しい都市を作りそこを首都とすることで自分以外の勢力の力を弱めようとした形です。これは長岡京を作った時とも同じ考え方ですが長岡京は10年もしないうちに平安京に遷都されることになります。
ではなぜ平安京の場所として現在の京都市が選ばれたのか、これは立地が良かったことが原因とされてます。当時、桓武天皇は新しい首都を作るにふさわしい場所を探していおり、京都市は山も川もありそのどちらも美しく、さらに多くの人や物が行き来するのに適していると考えたと記録が残っています。
特に当時は今のように文明が発達していませんから水を確保できる川があることは重要な点でした。実際に平安京は日本中から物が集まり、食料や水を安定して供給できるようになり住民の生活レベルはずいぶん向上したと考えられます。はじめから首都とするべく計画的に作られた都市ですので無駄のない構造になっているわけです。
平安京の完成以後、権力者によっては別な地域に住んでいたこともありましたが日本の首都はずっと平安京とされていきます。ただし戦国時代のきっかけとなった応仁の乱によって京都は焼け野原となり、平安京もその機能を失ってしまいます。
徳川家康が徳川幕府を開くと実質的な首都は江戸となり、平安京が日本の首都であるというのは形だけのものになりました。明治時代になると正式に東京が首都となり、平安京はその役割を終えることになります。
西暦1869年に当時の日本政府が東京を首都と決定するまでのおよそ1,000年間にわたり首都としての機能を果たし、世界でも類を見ないほど長い歴史を持っています。
桓武天皇が平安京を作った理由ははっきりとはわかっていませんが自身の権力を盤石のものにし、政権運営をスムーズにするためではないかと考えられています。
つまり自分で新しい都市を作りそこを首都とすることで自分以外の勢力の力を弱めようとした形です。これは長岡京を作った時とも同じ考え方ですが長岡京は10年もしないうちに平安京に遷都されることになります。
ではなぜ平安京の場所として現在の京都市が選ばれたのか、これは立地が良かったことが原因とされてます。当時、桓武天皇は新しい首都を作るにふさわしい場所を探していおり、京都市は山も川もありそのどちらも美しく、さらに多くの人や物が行き来するのに適していると考えたと記録が残っています。
特に当時は今のように文明が発達していませんから水を確保できる川があることは重要な点でした。実際に平安京は日本中から物が集まり、食料や水を安定して供給できるようになり住民の生活レベルはずいぶん向上したと考えられます。はじめから首都とするべく計画的に作られた都市ですので無駄のない構造になっているわけです。
平安京の完成以後、権力者によっては別な地域に住んでいたこともありましたが日本の首都はずっと平安京とされていきます。ただし戦国時代のきっかけとなった応仁の乱によって京都は焼け野原となり、平安京もその機能を失ってしまいます。
徳川家康が徳川幕府を開くと実質的な首都は江戸となり、平安京が日本の首都であるというのは形だけのものになりました。明治時代になると正式に東京が首都となり、平安京はその役割を終えることになります。
— posted by NCTV at 04:10 pm